「昔に戻ろう」とゲット・バック セッションを行うも、ビートルズの熱意もチームワークも昔のようには戻らないようだった。セッションが実を結ばないまま、やがてメンバーはそれぞれ別の活動に没頭していった。

6月、ポールはジョージ・マーティンに一本の電話をいれる。それは、「リボルバー」「サージェント・ペパー」の時のようにアルバムを作りたいというプロデュースの依頼だった。もうビートルズはだめだと思っていたジョージ・マーティンは、ジョンもこれには同意していると聞くと、この思いがけない話に大喜びだった。こうして本当に最後のレコーディングがスタートする。

アルバムは大成功し、メンバーは皆これですべて終わったと考えていた。ただひとりポールだけが、なおもライブ活動をしようと仲間に持ちかける。が、ジョンはこれを撥ねつける。もうたくさんだ、と。こうして栄光の1960年代の終りと共に、ビートルズの歴史にも終りが告げられようとしていた。

 

1月2日

「ゲット・バック」セッションと呼ばれるレコーディングとフィルム撮影を1月15日までトゥイッケナム・フィルム・スタジオで行う。

1月10日

ポール・マッカートニーとの不和がもとでジョージ・ハリソンが一時グループを離れる。

1月17日

サウンドトラック盤「Yellow Submarine」をリリース。

1月30日

アップル・ビルの屋上で予告なしのライブ・パフォーマンスを行う。ビートルズとしての最後のライブ。

2月2日

オノ・ヨーコ、トニー・コックスと離婚。

2月3日

リンゴ・スター、映画「マジック・クリスチャン」の撮影を開始。5月2日まで行う。

アラン・クラインが、ポールを以外の3人のメンバーの意向によりビートルズのマネージャーに就任。

2月4日

ポールは、リンダ・イーストマンの父リー・イーストマンと兄ジョン・イーストマンをアップル・コープスの顧問に招く。

2月21日

メアリー・ポプキン、アルバム「ポスト・カード」をリリース。ポールとドノバンが何曲かギターで参加。ジャケットはポールのデザインで、裏ジャケットにはポールの手書きの曲目表が載っていて、写真撮影はリンダが行う。

3月12日

ポールとリンダは、メリルボーン登記所で結婚式。結婚式前夜にポールはジャッキー・ロマックスの「Thumbin' A Ride」のレコーディングをしており、結婚式の当日の夜には再びスタジオ入りし仕上げにかかる。このセッションにはジョージ・ハリソンとビリー・プレストンも参加。

この日ジョージとパティがマリファナ所持の疑いで検挙される。

3月16日

ポールは、リンダとリンダ(前の夫との)娘とニューヨークに向かう。リンダの両親達のもとで3週間ほど過ごす。

3月20日

ジョン、ジブラルタルでオノ・ヨーコと結婚。

3月21日

アラン・クレインは正式にビートルズのビジネス・マネージャーに就任。3年の契約を結ぶ。

3月25日

ジョンとヨーコはこの日から3月31日まで、アムステルダムのヒルトン・ホテルで「ベッド・イン」をして平和を訴える。

3月28日

メアリー・ポプキンはポールの作品「グッドバイ」をリリース。ポールは彼女とデュエットし、ギターも弾いている。

4月11日

19枚目のシングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」をリリース。全世界で500万枚以上を売る。ピアノにビリー・プレストンが参加。

4月22日

ジョンはアップルの屋上でミドルネームをウィンストンからオノに変更する改名式を行う。

4月26日

ポールは死亡説について、スコットランドを訪れた記者に語る。「僕は見てのとおりとても元気だ。」

5月9日

アップル傘下のザップルからジョンとヨーコの「『未完成』作品第2番〜ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ」と、ジョージの「電子音楽の世界」をリリース。

5月19日

ジョンとポールは、「ヘイ・ジュード」でアイバー・ノベロ賞を受賞。

5月26日

ジョンとヨーコ、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルで2度目の「ベッド・イン」。6月2日まで行う。

5月30日

20枚目のシングル「The Ballad of John And Yoko」をリリース。ビートルズ初のステレオ・シングルである。この曲はジョンとポールの2人だけでレコーディングが行われ、またこの2人が共にレコーディングをした最後の曲であり、ビートルズ最後のNo.1シングルでもある。B面は「Old Brown Shoe」

6月1日

ジョン、「Give Peace A Chance」をレコーディング。

6月6日

ポールとリンダは、デヴォンの土地を下見に行く。

7月1日

アビー・ロード・スタジオでアルバム「Abbey Road」のための本格的なセッションを開始。

8月20日

ビートルズの4人のメンバー全員が顔をそろえた最後のスタジオ・セッション。

8月28日

ポールとリンダの間に、メアリー・マッカートニーが誕生。ロンドン療養院にて。

9月*日

ジョンはビートルズを離れる意向を示す。アラン・クラインは契約問題が解決するまで公にしないように要請、ジョンはこれに同意する。

9月13日

ジョン、プラスティック・オノ・バンドとして、ヨーコ、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトらとともに「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァル」に出演。

9月26日

アルバム「Abbey Road」をアップルからリリース。ビートルズが最後にレコーディングをしたアルバム。

10月16日

ビートルズはノーザン・ソングスの持ち株をATVに売却するとの声明を発表。

10月22日

ポールはアメリカ中に広まった「ポール死亡説」について、「イブニング・スタンダード」誌に対し、「僕が死んだの?本当?どうして誰も僕に何も言ってこないんだろう。」と語る。

10月31日

両A面のシングル「Something / Come Together」をリリース。ジョージの作品が初めてA面になった。チャートは5位止まり。

11月25日

ジョンはアメリカのヴェトナム侵略をイギリス政府が支持していることなどを理由にMBE勲章をバッキンガム宮殿に返還。

 

 


 

 

 

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