中上健次発言集成4 中上健次 対 村上龍 より

 

村上龍
 たとえばクラシックは、もちろん学校でも聴くし、僕もきれいだなと思いましたよ。シューマンとかさ。でも、やっぱり子供っていうのは禁じられたものをやりたがるじゃないですか。そうするとどうしてもポップスとかね。やっぱり米兵も多かったし。僕が一番ドキッとして、鳥肌立ったような感じのやつというのは、やっぱりビートルズです。小学校六年のときに、「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いて、何か子供心に違うと思うんですよね。
 ビートルズと中上さんのクラシックは違うけど、直接的に聴いたわけじゃないし、これを聴くと豊かになるとかじゃないけど、子供がそういうのに入るというのは非常に大事な気がする。そういうときに自分の中で起こったわけのわからない、「これは何だろう」っていうのはやっぱり書くときに文学になっていくような気がするんですよ。そこで全部わかっていっちゃう人というのは、書かなくてもいいわけでしょ。これは何かすごいんだけど、整理がつかなくてなんだろうという、中上さんは「傷」と言ったけど、僕なんかは刻みつけられたような気がしたんですよ。それがビートルズで、その後はずっとロックを聴いてましたけど。

--略--

中上健次
 そうだよね。それで年下の作家が出てきたって、ものすごくうれしかったんだけど、ただやっぱり「俺と違うなあ」っていうことをいっぱい感じたんだけどさ。
 ということは、俺は最初にクラシック体験があって、君の場合はロックがポンといきなりくるじゃない。僕はむしろ村上龍に会ってからビートルズを聴いたんだ。それまでは、「ビートルズなんて……」っていうあれで、おそらくその最初の対談のとき、君はビートルズとか言ってて、俺は鼻で笑っているような感じだったんだけど、そのあと、俺はビートルズを聴いたんだ。三十いくつになってビートルズを聴いたんだけど、「ああ、確かにこれは大したもんだ」と。
 僕らから言うと、要するにビートルズをクラシックの目で見るとか、そういう意識で、和音をどう使っているかとか、コードをどんなふうに使っているかとかいうのを見て、「あ、これは大したもんだ」って。だから聴いてて、「あ、村上龍はこれで『すごい』と言ったのか。それはそうだろう。これだけきちっとしたクラシックの教養を持っているやつなんていうのは、そういないなあ」と、俺はあとで納得したんだけどさ。

 


The Beatles Website Top | 作家の視点Top