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1月
1 ポールは、"メロディー・メイカー"紙に、「ブライアン・エプスタインは短期間でとてもいろいろなことを覚えてくれた。でも、あの堅苦しさは相変わらずだね」と語る。
21 ジョージ、パティ・ボイドと結婚。残りの3人のメンバーの中ではポールだけが、エピソム登記所で行われた結婚式に参加。ジョージの結婚生活は1974年まで続く。


2月
4 ビートルズが前年(1965年)に、3つのゴールド・ディスクを獲得したと発表される。その内訳は、"Help!"、"Eight Day's A Week"、"Yesterday"。

3月
1 アメリカでの公開録画フィルム"Beatles At Shea Stadium"がBBCTVで公開される。
4 ジョンが、ビートルズが今や「キリストよりも人気がある」と発言したモーリーン・クリーブとのインタビューの記事が"ロンドン・イブニング・スタンダード"紙に掲載される。
22 "デイリー・エクスプレス"紙は、ポールとジェーン・アッシャーがスイスのスキーのリゾート地クロスターで休養中と報じる。
25 ポールは、ロンドンの"イブニング・スタンダード"紙に、「遅かれ早かれいずれは何かとてつもないことが起こるということはわかっていたんだ。僕らはいつだって"ベツレヘムの星"が導いてくれているんだということを信じて疑わなかったから。名声というものは、それがどんな形をとっているにしても、誰もが欲しがるものなんだ。でも僕らはそれほど自分たちが有名だと思っていないんだ。つまり何て言うか、ザ・ザ・ガボールが自分の名声を信じていたようには、信じていないって言うことなんだけど」
26 ポールが父親に贈った競走馬ドレイクス・ドラムがアイントリーのヒルトン・ブレイト競馬場で優勝。ポールは父の愛馬を優勝場パドックまで先導した。オッズ20倍での優勝だった。


4月
5 ポールとジョンはそれぞれノーザン・ソングスの株を現金で14万6000ポンド購入したと伝えられる。その他に2人は別の株を売却してそれぞれ9万4000ポンド分の株を購入。この時の2人の持ち株はそれぞれ55万ポンドに相当すると言われている。
6 この日から6月にかけてレコーディング・セッションを行う。

5月
1 恒例となったウェンブリ―・エンパイア・プールでの"ニュー・ミュージカル・エクスプレス"紙人気投票入賞者コンサートに出演。
これが、ビートルズとしてのイギリス最終公演となる。
14 "メロディー・メイカー"紙は、人口が400万人しかいないデンマークで、ビートルズが100万枚以上のレコードの売上げを記録したと報じる。

6月
5 アメリカのTV番組"The Ed Sullivan Show"でビートルズのロンドンでのフィルムが放映される。
10 12枚目のシングル"Paperback Writer / Rain"をパーロフォンからリリース。
11 ポールは"ディスク&ミュージック・エコー"紙に、「ビートルズの、アメリカでのイメージはすごく嫌だな。4人の愉快なモップ頭なんていうイメージは頭にくるよ。僕たちが死んだ時、こんなふうに思い出してほしいと思うんだ・・・いつまでたっても忘れられたい、すばらしい音楽を作り出した4人の男たち・・・っていうふうに」
16 BBCTVの"Top Of The Pops"に出演。ビートルズのTV出演は1965年の8月以来のことだった。
"デイリー・ミラー"紙が、アメリカ編集盤のアルバム"Yesterday And Today"のジャケットが「あまりにも攻撃的である」という理由でやり直しすることになったと伝える。問題になったジャケットは、ビートルズが肉屋の仕事姿で肉の塊や人の首に囲まれてたっているところを描いたもの。 これが、"ブッチャー・カバー騒動"と言われるもの。
17 ポールがキンタイヤのマクリハニッシュの近くに183エーカーの酪農場を買う予定であると、"デイリー・ミラー"紙が報じる。農場主の妻ジャネット・ブラウン夫人はポールとジェーン・アッシャーが立ち寄った後に、「私たちの農場はずっと前から売りに出していたんだよ。でもまさかあんなに有名なカップルが見に来るなんて夢にも思わなかったわ。ポールさんは前からスコットランドに農場を買うのが夢だって言ってたわ」と語る。
23 ビートルズ、ロンドン空港からドイツに向けて出発する。
27 ドイツ・ツアーを終えて日本に向けて出発したが、台風のためアラスカ、アンカレッジで足止めを食う。
30 東京、武道館で公演。


7月
1 東京、武道館で公演。
2 東京、武道館で公演。
3 フィリピンのマニラに到着。空港には5万人が押し寄せ大混乱となる。
4 フィリピンのナショナル・フットボール・スタジアムで公演。観客数10万人はビートルズにとって最高の人数。
公演後、大統領宅で開かれたパーティーに出席しなかったために大きな反感を買う。このことは大統領に対する侮辱とみなされ、マニラ空港ではメンバーは暴力沙汰となる。
6 ニュー・デリーで3日間の休暇。
8 ロンドンに戻る。ポールは2度とフィリピンには行かないと語る。さらに言葉を続けて、「1番憎んでる奴にだって、マニラに行けとは言わないよ」。
12 ポールとジョンは、3つのアイバー・ノベロを獲得する。:
"We Can Work It Out"(1965年度のシングル売上げ1位)
"Yesterday"(最優秀作曲賞)
"Help!"(シングル売上げ2位)
29 4ヶ月前のイギリスでのインタビュー記事が、アメリカのティーン雑誌"デートブック"誌に転載される。初出時は何事もなかったが、この転載時に、ジョンのキリスト教発言は大騒動を引き起こすことになる。アメリカ南部における"バイブル・ベルト(聖書地帯)"のラジオ局が、ビートルズのレコード焼き討ち集会を企画。
"ニュー・ミュージカル・エクスプレス"紙は、ビートルズが南アフリカ・ツアーの話を断ったと報じる。

8月
5 全世界注目の中、13枚目のシングル"Yellow Submarine / Eleanor Rigby"と7枚目のアルバム "Revolver"を、同時にパーロフォンからリリース。
このダブル・"A"サイド・シングルは世界12ヶ国で1位に。"Revolver"は30年後、イギリスの音楽雑誌゛Q゛の読者投票でベスト・アルバムに選ばれる。
クリフ・ベネット&ザ・レベル・ルーザーズが、ポールのプロデュースによるシングル"Got To Get You Into My Life"をリリース。ベネットは、「ポールはピアノを弾きながら曲の感じを教えてくれたよ。それから、チョーキングのやり方もね」
11 アメリカ・ツアーに向けて出発。
12 シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターを皮切りに、3度目の、そして最後のアメリカ・ツアーを開始。
ビートルズはリハーサルもせず、ニュー・アルバムからの新曲も演奏しなかった。
13 デトロイト・オリンピック・スタジアムで公演。
14 クリーブランド・ミュにシバル・スタジアムで公演。
15 ワシントンで公演。
16 フィラデルフィア・ミュニシバル・スタジアムで公演。
17 トロントで公演。
18 ボストンで公演。
19 メンフィス・コロシアムで公演。
20 シンシナティで公演。
21 セント・ルイスで公演。
23 シアー・スタジアムで公演。56000人の観客。
25 シアトルで公演。
26 ポールはロサンゼルス滞在中に、ジェーンとの結婚を否定する。「まったくばかげてる」とポールは言う。「今のままで私たちは十分幸せなのよ」とジェーン。
28 ロサンゼルス・ダッジ・スタジアムで公演。
29 サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで、ビートルズとしてのラスト・コンサート。
31 ロンドンに戻る。ポールは、「ツアーはすごく素晴らしかった。すごく疲れたけど」と語る。

9月
6 ジョンはこの日から11月6日まで、西ドイツとスペインで映画"How I Won The War(ぼくの戦争)"の撮影。
19 ポールは、"サンデー・タイムズ"誌に、「僕は、ファンの女の子達の気持ちがよくわかる。僕も前に1度ウィー・ウィーリー・ハリスのサインが欲しくてリバプール・エンパイアの前で列に加わって待っていたことがあるんだ。サインが欲しくてたまらなかったんだよ。ばかなことをしたなあなんて全然思っていないよ」と語る。

10月
14 "ニュー・ミュージカル・エクスプレス"紙は、ポールが現在ヘイリー・ミルズ主演の映画"Wedlocked or All In Good Times"(このタイトルは後に"The Family Day"に改題)の音楽を作曲中と報じる。

11月
9 ジョン、ロンドンのインディカ・ギャラリーでヨーコ・オノと出会う。
19 ポールはケニヤのバカンスから帰国。
24 ビートルズ、レコーディング開始。アメリカ・ツアー以来、4人で仕事をするのは初めて。

12月
- ファン・クラブの全会員にクリスマス用シングル"Pantomime : Everywhere It's Christmas"が贈られる。ジャケットはポールが書いたイラスト。
9 アルバム"OLDIES(BUT GOLDIES)"をパーロフォンからリリース。
18 映画"The Family Day"(ジョン・ミルズ、ヘイリー・ミルズ主演。ポールマッカートニー音楽。ジョージ・マーティン編曲)のプレミア・ショー。ポールがソロ・コンポーザーとしてクレジットされるのはこれが初めて。ポールは26分間の映画音楽を作曲。
29 アメリカ音楽業界誌"ビルボード"は、ビートルズが現在世界13ヶ国で1位の人気だと報じる。
31 ポールは、"ニュー・ミュージカル・エクスプレス"紙に、「僕達の人生の様相はすっかり変わった。というのも、僕達の今現在置かれてる状況が、周囲の環境まですっかり変えてしまったから」と語る。


 

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